デジタル遺品について考えたら精神的ストレスで痩せそう…

今の時代は誰でも気軽に大量の情報を扱うことができる電子機器が身の回りにありますから、それだけに個人が保有している情報量というのも非常に多いものです。
その人が生きているうちには良いのですが、亡くなってしまったときには膨大な情報が残されるわけですから、それをどのようにして扱えば良いのかとなると難しいものがあります。
いつの時代も新しい概念が誕生すると便利になる一方で、それが悩まされる原因になるものですね。

雑誌で特集を読みました

今まで考えたこともなかったのですが、たまたま雑誌を読んでいるとデジタル遺品という概念があり、故人の情報機器から膨大な量のデータが残されるという記事目にしました。
自分の子供の頃には想像もしていなかったのですが、確かに今の時代は携帯電話からデジカメにPCなど様々な電子機器があり、その中には膨大な量の情報が含まれているわけです。
使っている本人からすればどこに何があるか、価値のあるものかないものかを判断することができますから、行きている間に困ることはないのでしょうが、その人がなくなったときに遺族がその情報を前にした時に、どのようにして扱って良いのか困る状況になってしまうようです。
確かに自分がその状況に置かれてしまったとしたら、どうすれば良いのか悩んでしまいそうで、ストレスで精神が削られるような気がしました。
遺品の整理は何であっても大変なものですが、形のないものの処分というのは余計に大変かもしれません。

心にズシンと来た

電子機器に入っている個人情報というのは様々なものがありますが、記事を読んでいてズシンと来たのが故人がたくさん撮っていた写真です。
写真は昔から故人の思いが詰まった大事な遺品のひとつではあるわけですが、フィルムだった時代と違って今の時代だと無限に撮影をすることができますから、故人の生きていた証がたくさん詰まっていて、それを直視することができないという話だったのです。
場所をとるものではないので、写真なら残しておけばいいということになりますが、それを残しておくことは果たして故人にとって望んだことなのか、あるいはそれを見られることすら嫌なのではと考えると扱いが難しいものがあります。
物として形があるものとは違って、デジタル遺品というのは故人が秘密にしておきたいものも山程あるわけですから、それを考えればそもそも整理をしようとするのではなく中身も確認しないで処分をすべきなのではという気もします。
結局正しい答えはないだけに、遺品の整理をしなければならなくなった人は本当に大変だと感じました。